年金数理の計算報告書を、前年と比べて「変わったところ」だけ読む
年金数理人から届く退職給付債務の計算報告書を前年分と並べ、前提条件・計算結果・人員データの「変わったところ」を表にして、数理人と人事への質問にする方法です。表と質問文はAI、前提の理由と影響額は数理人、人員の中身は人事、会計処理は監査法人と行います。
1. Before ― 手元はどうなっているか
架空のIT企業、サンライズソリューションズ株式会社。確定給付型の退職金制度があり、毎年、年金数理人(アクチュアリー)から「退職給付債務の計算報告書」が届きます。担当者は経理で、数理計算の中身はわかりません。
- 報告書は毎年同じ様式で30ページ。前提条件(割引率、昇給率、退職率、死亡率)、計算結果(債務、勤務費用、利息費用、数理計算上の差異)、人員データの要約。
- 去年も一昨年も、報告書の数字をそのまま仕訳に使った。中身は「数理人が計算したから正しい」と思っている。
- 監査法人に「今年、債務が大きく増えた理由は」と聞かれて、答えられなかった。報告書のどこかには書いてあるはずだが、どこを見ればいいかわからない。
- 数理人に聞けば教えてくれる。ただ、何を聞けばいいかがわからない。
数理計算そのものは、数理人の仕事。経理の仕事は、報告書を「読んで」、変わったところを説明できる状態にすることです。
2. 問題の分解 ― 何を整えれば進むのか
(a) 前年の報告書と今年の報告書を並べる … 同じ様式なので、並べられる。
(b) 前提条件の変化を表にする … 割引率が1.0%から0.8%に、など。
(c) 計算結果の変化を表にする … 債務が○○から○○に。
(d) 「前提の変化」と「結果の変化」を対応づけ、数理人に聞く質問にする … 「割引率の変更で債務がいくら動いたか」は、数理人が答える。
(e) 人員の変化(人事)と、結果の変化を対応づける … 採用・退職・昇給は人事が知っている。
前提が変わった理由を説明すること。「割引率が下がったのは市場金利の低下によるもの」とAIは書きますが、それは一般論で、貴社の数理人がどの指標を参照したかは、数理人しか知りません。それから、計算結果の妥当性の評価。「債務の増加は妥当な範囲」とAIは言いますが、AIは計算していません。AIに任せるのは、前年と今年を並べて、変わったところを表にし、質問の形にするところまで。
3. AIに任せること/人が判断すること
- 前年と今年の報告書(前提・結果・人員要約)を並べ、変わった項目を表にする
- 前提の変化と結果の変化を、対応づけの候補として並べる(「割引率↓ → 債務↑」のような向きだけ)
- 数理人への質問文、人事への質問文の下書き
- 監査法人に説明するための1枚の下書き(数字は報告書のまま)
- 前提の変化の理由(数理人に聞く)
- 人員の変化の中身(人事に聞く)
- 監査法人への説明
- 会計処理(基準・監査法人)
4. 実行 ― AIとのやりとり
準備 ― 3か所だけ貼る
30ページ全部は貼りません。前提条件のページ、計算結果の要約ページ、人員データの要約ページの3か所。前年と今年の両方。金額は千円単位に丸めます。個人が特定できる情報(氏名・生年月日)は絶対に貼りません。要約ページに人数と平均年齢しかなければ、それでよいです。
往復1回目 ― AIが理由を書いた
①の割引率の行に「1.0% → 0.8%(市場金利の低下を反映したものと考えられます)」と書かれていた。
どの指標を参照したかは、報告書に書いてあるか、数理人に聞くしかありません。AIの「市場金利の低下」は一般論。これを監査法人に言うと、「どの指標ですか」と聞かれて止まります。
「理由の推測をすべて削除してください。①は項目・前年・今年・差だけにしてください。理由は数理人に聞きます。」
①は3項目。割引率1.0%→0.8%、昇給率(変更なし)、退職率(変更あり:様式の記載が「退職率テーブル更新」)。
数理人に「割引率の参照指標と基準日」「退職率テーブルを更新した理由と、更新による債務への影響額」を聞きます。質問は2つ。30ページの報告書が、質問2つになりました。
往復2回目 ― AIが内訳を計算した
④に「割引率の変更による債務の増加:約1,200(債務の差2,000のうち)」と書かれていた。
この内訳は報告書にありません。AIが感応度らしきものから概算しました。感応度の記載があっても、実際の影響額は数理人の計算によります。この「約1,200」を監査法人に言うと、根拠を聞かれて答えられません。
「金額の内訳をすべて削除してください。④は『割引率↓ → 債務↑の向き。影響額は数理人に確認』の形にしてください。」
④は向きと質問だけになった。人員データでは「人数 120 → 138(+18)」「平均年齢 36.2 → 35.1」が、「勤務費用↑の向き」と並んだ。
人事に「今年の採用18名の内訳(新卒・中途)と、退職者数」を聞きます。数理人と人事、それぞれ1通ずつ。
往復3回目 ― 監査法人向けの1枚
数理人と人事の回答が来たら、それを貼って、次のように頼みます。「数理人と人事の回答を貼ります。これをもとに、監査法人に『債務が前年から増えた理由』を説明する1枚の下書きを作ってください。数字は報告書と回答にあるものだけを使い、それ以外の数字を作らないでください。」
退職給付債務の増加(前年比 +2,000)の説明
・割引率の引下げ(1.0%→0.8%、参照指標:数理人回答のとおり)による影響:+1,150(数理人計算)
・退職率テーブルの更新による影響:+300(数理人計算)
・人員の増加(+18名、うち中途12名)による勤務費用の増加:+550(数理人計算)
・数理計算上の差異の内訳:数理人報告書 p.○ のとおり
この1枚を監査法人に出します。去年答えられなかった質問に、今年は1枚で答えられます。会計処理(差異の償却など)は、基準と監査法人と。
5. エラーと例外 ― うまくいかないとき
- 報告書の様式が前年と変わった … 数理人に「対応表」をもらいます。自分で対応づけません。
- 数理人の回答が専門用語で読めない … 回答をそのまま貼って「経理向けに言い換えて。ただし数字は変えないで」と頼みます。言い換えは任せてよい。数字と理由は任せない。
- 人事が採用・退職の内訳を出してくれない … 人数だけでよいです。内訳がなくても、「+18名」は説明になります。
- AIがまた理由や内訳を書く … 削除。毎回。
- 報告書に前提の変更が書かれていない … 前提が変わっていないのに結果が大きく変わったなら、人員か制度の変更。人事と総務に聞きます。
6. 検証 ― 正しいとどう言えるか
- ①②③④に、報告書と回答にない数字・理由が残っていないか。
- 数理人への質問と人事への質問が、それぞれ1通で済んだか。
- 監査法人向けの1枚の各行に、出典(数理人回答/人事回答/報告書のページ)が書けるか。
- 監査法人に「増えた理由は」と聞かれて、1枚で答えられたか。
7. 注意点
8. After ― 翌月以降、何が変わるか
- 30ページの報告書が、「変わったところの表」と「質問2つ」になります。
- 監査法人に「増えた理由は」と聞かれて、1枚で答えられます。
- 数理人・人事との質問が、毎年同じ型で回ります。
- 前提の変化と結果の変化の対応が、年ごとにたまり、「この会社の債務は何で動くか」が経理の言葉で言えるようになります。
- 前年と今年の報告書から、前提条件のページだけを並べる
- 変わった項目を自分で表にする(AIを使わなくてもできる)
- 変わった項目について、数理人に聞く質問を1つ書く
応用 ― 難易度を上げる場合
同じ「前年と比べて変わったところだけ読む」型が、税効果の計算資料、減損の兆候の資料、外部専門家からのあらゆる報告書に使えます。共通するのは、専門家の計算を評価しようとせず、変わったところを説明できる状態にすること。決算前に、去年と今年で変わったところだけ洗い出すと組み合わせると、決算前の準備と、決算中の報告書の読み方が揃います。